ここ最近の「読書はコスパよい」に関する言説に思うこと
最近なぜか「読書ってコスパいいよね」と「読書をコスパが良いからという理由でするのはいかがなものか」みたいな話が流れてくる。ツイッターのTL上で。
読書に「コスパ」とか言い出すあたりからして何かがおかしい。 pic.twitter.com/7AbeMsAeRF
— 科学哲学たん/敷衍真理 (@kagakutetsugaku) December 4, 2021
たぶんその流れはこのツイートからだと思うんですけど、この『新R25』のツイートを見る限り、
読書って必要?不要?
— 新R25編集部 (@shin_R25) December 3, 2021
「こんなに安価に読めるなんてラッキーすぎる」
「書籍にしかない情報が多いし、打率が高い」
「恐ろしくコスパが良い」
ネットで自由に情報が手に入る時代に「読書をすべき理由」はなんだと思いますか? pic.twitter.com/AVLY7qMnQz
そんなにおかしいことは言ってないと思う。特に武田双雲のやつとか。本って基本的に安いよな。この前買った片桐洋一の『伊勢物語全読解』は一万五千円したけど。まあこれも値段だけ見れば高いけど、内容がものっそい濃いので相対的に安いとは思う。
上のツイートした人は、
「読書は娯楽としてコストパフォーマンスが高い」
— 科学哲学たん/敷衍真理 (@kagakutetsugaku) December 6, 2021
→わかる
「コストパフォーマンスが高いから読書する」
→??? https://t.co/IPqM9T9KcJ
と思っているらしいんだけど、ここから推測するに、読書という行為に対して高尚性を抱いているんだろうなというのがうかがえる。まあそれはどうでもいいんだけど、僕が主張したいのは、「コスパ高いから読書する」人たちを何も考えずに批判してしまうと、「コスパ高いから読書する」人たちが買っていたような本(自己啓発・うっすいビジネス書)が売れなくなって、自分の発刊部数では黒字にできないけれど素晴らしい出版物にまでしわ寄せがいってしまうのではないかというものである。
基本的に出版社というのは、ばかみてーに売れる本と、それが出した利益で出来上がった本を出版しているらしい(『ジャンプ』のすごさが語られるときにこのシステムの話によく触れられているし、具体的には『生業としての小説家戦略専業作家として一生食っていくための「稼げる」マニュアル54』にあったので気になる人は読んでみて)。
この産経新聞の記事みたいに、「コスパ高いから読書する」人たちが読むのであろう自己啓発本は売れ行きが好調っぽい。そのため、ここからの利益で世に出た、それほど売れてないんだけどとても良い本もたくさんあると思う。だから、出版社の稼ぎ頭である自己啓発本を読むであろう「コスパ高いから読書する」人たちへの安易な批判は、「コスパ高いから読書する」人ではない人たちへの不利益につながるんじゃないだろうか。とか思ったりするのです。
それはそれとして、僕も「コスパ高いから読書する」人たちの気が知れないタイプではあるので、「コスパ高いから読書する」人ではない人たちの言いたいこともわかる。
ただ、読書界隈(そんなものがあるのかは知らないが)は非常に複雑で、ある時期には「読書する人を増やしたい」みたいな言説が流行って、ある時期には今回みたいに、どんな理由からであれ読書している人たちを馬鹿にするような言説が流行るのだから、一流サーファーでもこの大海の波を乗りこなすのは難しいんじゃなかろうかと思う。
で、「読書は娯楽としてコストパフォーマンスが高い」というのは、果たして本当だろうかという疑問もある。馬鹿たけえ本は死ぬほどあるし、めちゃくちゃ長いシリーズものもあるし、本が好きな人は馬鹿みたいに本を買うから、結果的に高くつくんじゃね?そもそも趣味としての読書であれば、金に糸目をつけない方が趣味を満喫してる感があるし、本は蒐集するものとしても存在しうるから、もろもろひっくるめて考えると、アウトドア系の趣味とは違って初期費用が掛からないというだけで、読書の、娯楽としてのコスパはそれほど高くないんじゃないか?と思う。
図書館の本を含めればコスパは高くなるだろうが、図書館の本は市民の財産であり、市民の税金で賄われているから、我々のお金が全く関与していないわけではないため、厳密にフリーであるともいえない気がする。
つーかそもそもコスパ、コストパフォーマンスって何?みんな何として認識しているんだ?
本当にコスパのいい趣味は、365日毎日裸で海を八時間くらい泳いで最終的に人魚に仲間だと思われて海底の国に行くことだよ。