頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

Twitterで流行ってる「例の漫画」って、何?

だいたいどの漫画のことを指しているのか見当は付くけど、なんで「例の漫画」と呼んでいるのか見当がさっぱりつかない。

 

もしかして、「例の漫画」という言葉を使っているTwitter民は自分以外の全員が「例の漫画」を共通認識として持っていると思っているのだろうか。それとも、知ってる人に話が通じれば良いや、というような諦念の表れなのだろうか。

 

前者が多い場合は、Twitterでいさかいがなくなることはないし、後者が多い場合はTwitter上でこんなにいさかいが多いのはおかしいと思うんですけど、どうなんすかね。

 

自分が知っていることを相手も当たり前のように知っているだろうという感覚は、実感としてとてもよくわかるのですが、実際問題自分がある事柄について知っていて相手も知っているという状況は、空間が限定されない限り生じないと思います。この場合の限定的空間とは、電子情報通信学会とかコミケモバマス島とか西住しほを妄想で犯す会みたいな感じです(この空間ですら意見・主張・主義はバラバラだが、前提知識はある程度均一であるということが言いたかったと今気が付いた)。Twitterは複雑怪奇な現実世界と同じで限定的空間ではないので、自分が知っていることは相手も知っているだろうという甘い期待はしない方が自分の精神衛生上よろしいかと思います。

 

知っている人に話が通じれば良いや、というような態度も楽で良いですし、実際僕もそんな感じで日々Twitterやってます。今書いているブログもそう。例の漫画が何かを明確に示していない。だけど、何となくこれに違和感や嫌悪感を感じるのはなんでなんだろうな。わからん。イギリスやフランスの貴族っぽいから?

 

「例の漫画」と呼ぶことによって、自分のツイート履歴に例の漫画を載せないということを目指した人もいるのかもしれません。理由はそれぞれで、例えばただ単純に俺は他人のツイートはRTしないんじゃ!という方もいれば、例の漫画を拡散させたくないからな人もいるかもしれません。「例の漫画」という言葉をただ使いたいだけの人もいるでしょう。

 

内容がドイヒーだから拡散させたくない、拡散に加担したくないから「例の漫画」という言葉を使っている人は、逆効果だからやめたほうが良いと思います。

 

人間は隠されると探したくなる生き物なのです。カリギュラ効果というらしいです(日本固有の用語らしい)。僕は心理学って微妙にビミョーな感じがするのであれですが、一応根拠っぽいものを提示しておいた方が説得力あるかなって思ったので出してみました。

 

何が云いたかったかって言うと、特に何もないです。