頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

『100日後に死ぬワニ』を見て感動しなかった僕は異常なのかもしれない

僕は『100日後に死ぬワニ』(以降100ワニと表記)を85日目くらいから読み始めた。きゃわわなタッチとキャッチーな四コマで読みやすいなと思ったことを覚えている。

この間100日目が更新されて、桜がきれいだった。ワニは死んだ、らしい。直接的な死を描いていたわけではないのでわからないが。

その後のメディアミクスで炎上しているが、正直それはどうでもいい。僕が今一番気になっているのは、「100日目まで読んだが、周りの人間たちと同じように『感動した
!』とか、『ワニ君が死んじゃうの寂しい!』とか、『悲しい!』とか、『ワニロス!』とか、『何メディア展開してんじゃコノヤロー!』とかいった感情が全く湧き上がってこないということによって、自分の心(感情)が死んでいるのではないか?」という疑問が生じていることだ。

ぶっちゃけ、僕は『100ワニ』の内容に関しては、「まんがきらら」レベルだなと思った。思ってしまった。ごめん。また、『100ワニ』のすごいところは、「『100ワニ』を更新する」というところと現実の時間をリンクさせて人間の心をわくわくさせるような構造を作り出したことにあると僕は思っている。ワニが死んだことによる感想やそれによって生じた考えなどは特にない。漫画に対する感想は「読みやすいな」以上。

 

しかし、ちょっとほかの人の意見を覗いてみると、

 

水野良樹いきものがかり、HIROBA)コメント

ラストシーンを前にしたとき、気がつくのだと思います。
この物語は「死ぬ」ことではなく「生きる」ことを描いていて、「誰か」のことではなく、ページをめくった「あなた」のことを描いているのだと。
100日後の“はじまり”に、きっと出会うことができます。

はじめしゃちょーコメント

最初は何気ない気持ちでワニくんを見ていたのですが、死ぬ日が近づくにつれて、彼を見ていると、毎日を噛み締めて生きなきゃいけないと思うようになってきました。
生き物の生と死がここに。

田村淳コメント

“死まであと◯日”
これだけで全然違って見えてくる!
自分はあと何日なのか…
何でもない日常に何かを起こしたくなった!

上田慎一郎コメント

「死まであと○日」。文章ひとつで物語の見え方がガラリと変わる。なんという発明でしょう。
読者は自分や周りの人の「死」について意識し、それによって「今」の行動を変えていく。なんと素晴らしい発明でしょう。

 

(映画ナタリー「『100日後に死ぬワニ』がアニメ映画化」 https://natalie.mu/eiga/news/372114

より引用)

 

マジ?みんなめっちゃ『100ワニ』で生と死について考えてるじゃん(まあ、上田さんの文章は構造についてなので、自身の感想ではないのだが)。上記に載っている著名人やツイッタの人間は、『100ワニ』によって心を揺り動かされたらしい。感動したらしい。ソースは朝日新聞のデジタル記事にある「20日に運命の100日目を迎えて完結したが、感動の嵐から……」というところから。(https://www.asahi.com/articles/ASN3P6SJYN3PUCVL006.html

 

マジか。感動の嵐か……たぶん僕はその風を吹かせていない。

僕の感情は社会とは大きくかけ離れている?もしかして、僕って社会から見ると異常?世の中的には『100ワニ』の内容で感動しないといけないのか?僕は異常者なのか?

すごい不安になってきたんだが。

 

まあ一つ言えるのは、大勢の他人を、「死」というものを使って感動させることを可能にした構造を作り上げた作者さんはすごいってことだ。

このことから僕が『100ワニ』で面白いな、interestingだなと思ったのは、「やはり死というものはものすごく強大なエンタメになるんだな」ということだった。

だって、そう考えないと、ないようがないようの漫画で、一万くらいだった作者さんのフォロワが190万くらいにならないよね(2020/3/22現在、作者のツイッタフォロワ数は219万)。

 

 

作者は「「いつか死ぬ」生きているということはいつか死ぬということ。自分の「終わり」や周りの人の「終わり」それを意識すると、行動や生き方がより良い方向にいくのではないか。ワニを通してそれらを考えるきっかけにでもなればいいなと思っています。」とORION NEWSで言っている。(https://www.oricon.co.jp/special/54184/

 

たぶん作者はツイッタ上のみんなに、生と死について少しでも考えてもらいながら、日々の生活をより豊かにするためにはどうすれば良いのか、どういう心持でいればよいのだろうかということを考えてもらいたかったのだろう(知らんけど)。しかし、現実は、そういう意図をくみ取って自分の実生活の中に取り入れようなんて考える頭の良くて素直な人間はごくごく少数だと思う。現実は薄情だ。

 

これは僕の勝手な予想だが、今後様々な娯楽コンテンツで、「死」というものが軽く扱われるようになるのではないだろうか。昔から「主要キャラ何人か殺しとけば盛り上がるじゃろ」みたいな風潮があった気がするが、この風潮が加速する気がする。だって数字が取れるから。世の中に死を描くだけで感動するような人間が多いのかもしれないと、作る側が勘違いするかもしれない(実際は作者の作り上げた構造がなければこの感動というものは生じにくいだろうということが言えるのにもかかわらずだ)。ぢごくじゃん。

別に「100日後に死にます!」とか言わなくても、つまり、『100ワニ』の作者が作り上げたような構造を組み上げなくても、とりあえず死なせときゃ良いっしょ!みたいなノリが生まれる可能性はある。そうでないことを願いたいが。

 

もう一つ予想しているのは、上記の予想とは全く逆で、「全然意図していないのに、つまり、制作側が『100ワニ』をまったくもって念頭に置いていないにもかかわらず、物語の構成上正当性のある「死」が描かれているモノに対して「これは『100ワニ』のパクリだ!」みたいな声が、裏庭にある大きめの岩の裏に生息する虫けらみたいに湧く」というものである。ぢごくじゃん。

 

最終的に何が云いたいかって言うと、ワニが死のうが知ったこっちゃないし、『100ワニ』では感動しなかったし、『100ワニ』によって生じる暗い未来を一人で勝手に妄想してニヤニヤしている僕は完全に社会的に異常者でした。本当にありがとうございました。さよなら。