オンライン上でも空間の制約は存在する?~うんこ大学生がリモートゼミをして思ったこと~
来年度には新社会人(仮)予定である僕は、今567のおかげで(?)ゼミがリモートになっています。
僕の所属しているゼミは特殊なのかわかりませんが、ゼミ時間の半分が意図的に雑談で埋められています。雑談と言っても話す内容は決まっていて、ゼミ生がそれぞれ10分程度で今週読んだ本の紹介と、文化的トピックスの紹介を軸に雑談しています。
この雑談タイムの良い点は、他人がしゃべっていようが他のゼミ生と雑談できるという点です。細かくいえば、発表者(この場合はさすがに先生を除く)が話していても、近くの人間と発表者の発表について話すことができると良く鳥屋雑談することによって、その人が何を考えている家や何を知っているかを何となくですが把握することができるという点が良い点だと僕は考えています。
こんな雑談タイムが僕は好きでした(面白い内容は少ないが)。しかしながら、リモートになったことによって、雑談が失われてしまったのです。
基本的にリモートゼミは、誰か一人がしゃべります。それは先生やゼミ生なのですが、その時他のゼミ生は基本的に無言です。ここで、非リモート時に起きていた雑談が消滅したことがわかります。先生はどうにかして非リモート時の雑談と同じほどの活気を取り戻そうとチャットの使用を推奨していました。しかし、チャットをして思ったのは、明らかにしゃべることとチャットでは、チャットがテンポや非言語コミュニケーションの点で劣っているということです。
ここでわかったのは、オンラインでは空間が制約されないかと思いきや、想定していた空間の制約はないが別の場面での空間の制約が出現したということです。
もうちょっと分解します。
一般的に、オンラインでの会議や授業というのは、どこか特定の場所に居なければいけないという空間の制約がないです。これは、オフラインでの会議や授業における空間の制約を解消したことになります。しかしながら、オフライン時では可能であった、誰かがしゃべっているときに別の誰かとそのことについてこそっと話すことがオンライン上ではできません。これは、空間の制約が発生したと言えます。
ここまで書いてきて思ったんですけど、これってオンライン上の空間の制約なのか?もしかしたらシステムによる制約の間違いなのでは?と思いましたが、題名を決めてしまっているのでいったん目を瞑ります。いや、瞑らないでおきます。
まあとにかく、自身の身体で感じてきた空間と、オンライン上の空間というのは感じ方が違うということはわかります。まあ、僕はデジタルネイティブですが、どちらかというと、自身の生活の延長線上にオンラインが存在していたかと言われればそうではなかったので(今はそうかもしれないが)そう感じているだけかもしれませんが。
つまるところ何が云いたいかって言うと、身体性を持った密な状態での会議なり授業をオンライン上で再現するためにはどうしたらいいのだろうかということを思いましたよってことです。こうすれば良いんじゃないかってことを具体的に考えたらまた書きます。