ぶっちゃけ「表現の自由」なんてものは無くない?
あるけどないよ
どうもこんにちは。
アンモナイトです。
皆さんお元気ですか?僕はお元気です。
久しぶりにまじめなお話を一つ。
僕は昔から「表現の自由」という表現に疑問を持っていました。
これはマスコミの報道などについてではなく、個人が発言・発信する際に使われている「表現の自由」についてです。
なぜ疑問を持っているのか。
それは、「表現の自由」ってどこにも存在してなくない?って感じたからです。
僕はもそもその話「『表現の自由』じゃなくて『表現は自由』なんじゃないの?」
って思うんですよね。
だってそうじゃないですか?
人類は生まれた時から表現できます。赤ちゃんならお母さんに向かって何かしてほしい時には泣くことが出来ます。うれしかったら笑えます。言葉が使えるようになったら僕みたいに「表現の自由っていう表現おかしくね?」と喋りや文字で表現することが出来ます。なんだったら絵も描けます。歌を歌えます。物を使って音を出すことが出来ます。体も使えます。なんだって出来ます。何かを出来なくても、何かは出来ます。
それって「表現の自由」なんでしょうか?
それって「表現は自由」なんじゃないでしょうか?
僕がこう考えるのは「表現の自由」についてとことん無知なだけかもしれません。
僕が憲法法律関係で知っていることといえば、憲法に前文があること、「表現の自由」は憲法第21条で、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」とされていること、憲法は国が守らなければならないものだということ、法律は民が守らなければならないものであるということ、チャタレイ事件位です。
「チャタレイ夫人の恋人」って、今の感覚からするとぶっちゃけそんなに卑猥じゃないよな~。でも今と昔じゃ感覚が違うからな~。
こんくらいの知識しか僕にはありません。
もしかしたら「カスほどもわかってないやつが「表現の自由」についてカタルーニャ地方!」
という人もいらっしゃるかもしれませんが、僕はそれを甘んじて受け止めます。
だって僕は「表現は自由」だと思っているから。
「表現は自由だからぁ!」というスタンスで僕がAという発言をして、それに対して「表現は自由だからぁ!」というスタンスのαさんがBと反論する。そして「表現は自由だからぁ」というスタンスの僕がそれにまたCという反論をして・・・
そうやって全人類が話し合うことが出来れば世界は平和、ラブ&ピースなんじゃないですかね。
知らんけど。