公園の下にはコンクリートが埋まっている
大人の階段の~ぼる~!
どうもこんにちは。
アンモナイトです。
皆さんお元気ですか?僕はお元気です。
最近、地元に帰ってきたのですが、けっこうこの町も変化していっているんだなぁなんてことを思うようになりました。僕の通っている大学がある町と、僕の地元はぶっちゃけめっちゃ遠いのですが、社会人の人よりかは格段に地元に帰っていると思います。しかし、そんな僕でも、「あれ?ここってこんなんだったっけ?」と疑問に思うようなことが増えてきました。まあ、ただ単に僕の記憶力が年々低下していっているだけかもしれませんが……
僕の実家から最寄りの駅までの道には、ある公園があります。その公園は、皆さんの想像しているような、ブランコがあって、シーソーがあって、変なオブジェが建っている、みたいな場所ではないのですが(へんなオブジェだけは建っている)。
その公園には、こんな思い出が有ります。僕は、むかしそこで自転車に乗る練習をしたことを覚えています。ペダルなしで、ひたすら足で地面をける練習をしていました。普通はどんなふうに自転車に乗る練習をするのかは、今でも知らないのですが、当時の僕は「さっさとペダルこがしてくれないかなぁ」と思っていたことは覚えています。ちなみに僕の初めての自転車は、たしか、バーバパパだった気がします。バーバパパて……かわいっ、僕。
とまあ、そんな公園があるのですが、その公園には芝生が敷き詰められている場所があります。その公園の芝生は、当然ながら、年々剥げていき、地面があらわになっている個所が増えていっていました。
前回地元に帰っていた時は、確かに芝生の影は「シバ」位にしかなく、茶色い地面が露出していました。しかし、今回帰ってきて、僕が目にしたのはコンクリート。
え?
僕は思いました。なんでコンクリートなんかあんの?おかしくない?あれ?前までここって芝生が生えてたよね?違った?もしかして、僕は二十年間コンクリートを芝生として認識していた世界初の人間だった?
その、コンクリート(今思うとコンクリートじゃない可能性の方が高いかもしれないと気が付いたけど、ここまで書いちゃったから気が付いてないふりをする)の近くに行くと、どうやら芝生の張替えをしているらしかった。
はへ~~
なんだか公園の闇みたいなものを見てしまった感がある。子供の頃って、公園=自然みたいなイメージがあるじゃないですか。でも、公園にはコンクリートが埋まっていた。公園は人工物だった。今、当たり前だと頭ではわかっている僕は、公園が人工物だったという実際の例をこの目で確かめた。そのことがなんだか無性に寂しかった。
僕は、大人になるということは、必ずしも子供のままでいられないことと同義ではないと思っているけれど、今回は、なんだか自分が子どもの心の一部を捨てて大人になってしまった感じがある。
もちろん、いつまでも社会から目を背けて眠っているわけにはいかない。僕たちは眠り姫のままではいけない。でも、ときどき思うのです。
僕たちはいつまでガラスの靴を履いていられるのでしょうか。
でも、よく思い返してみれば、小学校の時に「地球の裏側まで行ってやるぜ~」と息巻いて砂場で穴を掘った時に、コンクリートにたどり着いてあきらめたことがあったから、僕は知らぬ間に大人になっていたのかもしれない。
完