頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

有名ブロガーがTwitterでよく云う「僕が大学一年生だったら云々」って効果ゼロでしょ?

有名ブロガーにはも、しかして、普通の人間にはある、「児童・生徒・学生だった頃」という過去がないのでしょうか?それとも児童・生徒・学生の頃、とっても素直でなんでも云うことを聞く、素直でイイ子だったのでしょうか?はたまた、あまりにも児童・生徒・学生だった時代がツラすぎて、もしくは楽しくなさ過ぎて、記憶から抹消したのでしょうか?どーでもいいけど。

 

どうもこんにちは。

 

アンモナイトです。

 

皆さんお元気ですか?僕はお元気です。

 

この「頭の中身が知りたくて」というブログを始めてから、なぜだか知りませんが、ありがたいことに、ブログを書いたり、アフェリエイトをしている人からTwitterをフォローされることが多くなりました(もしかしたら向こうは何も思っちゃいないかもしれないが)。

 

僕は基本的に、Twitterでフォローされたらフォローし返すタイプの人間なので、必然的にタイムラインにブログを書いたりする人のツイートが多かったりとか、僕も有名ブロガーをフォローしたりしているので、タイムラインにブロガーのツイートが多くあります。

 

そんな感じのTwitterのタイムラインで、僕はよくこういったツイートを見かけます。例えば、「僕が今大学一年生なら、迷わず自分でプログラミングを勉強して、自分でお金を稼げるようにします」みたいなツイートですよ。アナタも、一回くらいは見かけたことがあるんじゃないですか?もしくは、こんなツイートをしたか。

 

で、僕はこういった類のツイートを見るたびに、ある意見を持っていたのです。それは、「もしこの人たちが、学生に向けてこのツイートをしているんだとしたら、何にも考えてないんだろうな」ということです。

 

もし、これらの類のツイートが、学生に向けられたものではなくて、「プログラミングを勉強したい!けど、踏ん切りがつかない……」というような社会人に向けて発信しているのであれば、効果は少しはあると思います。けれども、学生に向けられたものであるなら、僕は、効果は少しも、ほんのちょっとも、ないと思っています。

 

ティーンエイジャーというのは、とっても難儀で、ナイーブな時期の人間です。いわゆる「こじらせる」人間が一番多い時期とも云えます。僕も、ついこの間までそうでしたし、なんなら今も現役バリバリでこじらせているこじらせ人間です。よく、教育心理学なんかでは、「やれ」と云ったら、とたんにやる気をなくす子どもが多いのは、心理学的なモノが原因にある、というようなことを耳(もしくは目)にします。確かに思い出してみれば、高校の時、担任に「勉強しろ」と云われると、やる気をなくした思い出がありますし、他の友達の話にも、そのようなことがありました。他にも、中学生の時、「勉強は大人になったら大切さがわかるから勉強しなさい」みたいなことを云われましたが、当時の僕は、「いや、知らんし~大人のことなんか」と思っていました。今は勉強が大切だということが身に染みてわかったのですが、今わかってちゃ遅いわけですよね。僕は、Twitterでの発言にもこれらが適応するんじゃないかと考えています。

 

まあ、ぶっちゃけ、云ってしまえば「大学一年生」というワードは、「時間がたくさんあるうちに」や、「時間をかけてでも修得した方が良い」という意味で、慣用的に使っている節があるんだろうなというこを、僕は思っています。しかし、本当にティーンエイジャーに向けて発信しているのであれば、「大学一年生云々」のくだりは意味がない、もしくは「響かない」文章です。

 

知識や経験を持った大人が、児童・生徒・学生に対して、何を勧めても、反社会的なモノでなければ、僕は別い良いと思うのですが、もし本当に勧めたいと思っているのであれば、それなりの云い方というものがあると、僕は思うのです。

 

あまりうまい言葉が思いつきませんが、例えば、さっきのプログラミングを児童。生徒・学生向けに考えてみると、「プログラミングを勉強すると、半年くらいでぼちぼち金を稼げるようになる可能性が高いから、勉強して後悔はしないかも」くらいがちょうどいいかもしれません。

 

そもそも云ってしまえば、全世界の人間の中で、自分以外は全員他人で、自分ではないわけです。自分を自分でコントロールすることすら難しいというのに、ましてや他人をや、です。何か物事を発信する際には、自分の言葉や考えは1パーセントも伝わらないということを心に刻んでおきながら、それでも、もう1パーセントくらい伝わるようにするにはどうすればよいだろうか、ということを考えながら生きていくべきではないだろうかと思います。