人間の「地元」についての考察
「私、実家に帰らせていただきますッ!」っていう言葉すら、童貞の僕にとっては云われたい言葉ランキングの上位に食い込んでしまうあたり、悲しさを感じる。
どうもこんにちは。
アンモナイトです。
皆さんお元気ですか?僕はお元気です。
僕は、今日、地元に帰りました。
地元に帰ってきました。僕のことを知っている人間はここにもそこにもどこにもあまりいないのですが、やはり生まれ育った町。なんか安心する。むしろ安心しかしないから、そのことに不安になってくることさえある。
皆さんにも「地元」という存在があると思います。
それは日本のどこかかもしれませんし、世界のどこかかもしれません。とにかく、自分が生まれ育った、もしくは主に育った地域というものがあるはずです。
そして、その地元には、色々な思いを持つ人がいるとは思いますが、大方の人は、自分の地元に対して好意的な感情を持っているのではないでしょうか。
なんでなんでしょうね?自分の地元を肯定的にとらえることって。
自分が過ごしてきた場所を否定してしまうと、それは自分がそこで過ごしたという時間を否定することになり、最終的に自分を否定してしまうことになるからでしょうか?
それとも、人間は生まれながらに自分が生まれ育った場所に愛着を持つような設計でもされているんでしょうか……?
いや、それはないか……「自分の地元なんてキライ!」って云う人も実際に存在していますし。
でも、僕の知っている地元がそんなに好きじゃない人って、両親や兄弟と何らかしらの確執があるというか、こちらが一方的に嫌っているというか、なんかそんな感じの人ばかりなので、自分の地元がキライって云っている人は、もしかしたら、自分の家族がいる土地が嫌いなだけなのかもしれない。
ということは、人間は生まれながらに自分の地元に愛着を持つことは、何らかの意図によってあらかじめ設定されているということか?!
いや、でももともと人類は農耕文化じゃなくて狩猟文化を持っていたんだし、そんなに土地自体に執着はしていなかったはず。狩猟文化なら、モノに執着するはずだ……
しかし、近年、若者の間では地元志向の人が増えているのも事実……
もしかしたら、その世代から、狩猟民族からの遺伝から農耕民族の遺伝に切り替わってるとか?
とすると、地元マジ卍で愛情友情が友達の「マイルドヤンキー」が最近急に増えだしたのにも説明がつく……!
おいおいマジかよ!!
大発見だ!!!!!
(この話はフィクションであり、遺伝はそんなに便利なものではありません)