頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

「文学は孤独だ」と五七五オンラインをやって思った

君は僕じゃない(自由律俳句)

 

どうもこんにちは。

 

アンモナイトです。

 

皆さんお元気ですか?僕はお元気です。ちょっとお疲れですけれども。

 

最近、「五七五オンライン」というスマホアプリゲームをお友達に紹介されたので、やってみました。今回はその感想につて少々述べていきたいななんていう風に思います。

 

play.google.com

五七五オンライン

五七五オンライン

  • toru sugitani
  • ゲーム
  • 無料

 

「五七五オンライン」は、見知らぬ誰かと一緒に、二人で「最初と最後の五文字」と「真ん中の七文字」を埋めることで一つの句を詠むというゲームです。

 

いいコンセプトですね。俳句を通じて人々とコミュニケーションがとれるなんて、なんて素晴らしいんでしょう!

 

僕はこのアプリの存在を知った時そう思いました。なんか平安貴族みたいでカッコよくないか?とも思いました(平安時代の貴族は短歌だが)。

 

しかし、実際にやってみると、他人とコミュニケーションをとることなんて出来ず、むしろ、「文学とは孤独、いや、人間とは元来的に孤独なのである」と、まるで負の悟りを開いたごとく、鬱鬱とした気分になりました。

 

先に言っておきますと、別にこのゲームが悪いわけでは全然なく、むしろ、「他人の考えていること」や「他人が面白いと思っているもの」が何なのかということの片鱗が、五文字や七文字からにじみ出るこのゲームは、他人がどのようなことを考えているかということを想像するきっかけになるという点で、良いゲーム、素晴らしいゲームだと云うことが出来ます。

 

しかしながら、「他人と共通のモノ(この場合は俳句)を共同で作る」という点に、眼が奪われていた私にとっては、現実は非情でした。

 

 というのも、例えば僕が七文字を考える場合だった時に、多くの五七五プレイヤーは、「元気?」とか「今何時」とか、ほんっとーにショーもないモノしか送ってこんのですよ。はい。いや、もしかしたら僕がマッチングした人たちがたまたまそういう人たちで会って他の人たちは普通に俳句を作ろうとしているのかもしれませんが、そんな人は、僕は、あまり遭遇していないので、存在しないのではないかと仮説を立てています。

 

僕も段々俳句を作ることをあきらめて、最初の五文字に「咳をしても一人」とかブッ混んでいたので、人のことは云えませんが。

 

そもそも、一七文字しかないのに、他人と一緒に作るということが無茶なのではないのでしょうか。

 

文学は、孤独であるからこそ成り立つものです。もちろん、文章を商品化するためには編集作業などが必要であり、そのために、編集さんなどが存在しているので、本当の孤独かと問われれば、そもそも本当の孤独とは何なのか、本当は人間は生まれた瞬間から孤独な存在であって、今家族であったり、仲間であったりする人間も、本当のアナタを理解することは、アナタが死んでも無理であり、逆に、アナタは家族や仲間のことを本当に理解することは、例え家族や仲間が死んでも無理だし、アナタが死んでも無理、みたいなことが頭の中によぎって土星の周りをまわる小惑星のように、グルグルグルグルと頭の中をさまよい続けてしまい、結局は孤独とは、文学とは何なのかがわからなくなってしまう。

 

あ、僕は俳句じゃなくて短歌派なので、「五七五七七オンライン」を求めます。