頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

どうせ明日は「平成最後は~」明後日は「令和最初の~」というブログが乱立する

しょーもな

 

どうもこんにちは。

 

アンモナイトです。

 

皆さんお元気ですか?僕はお元気です。

 

最近めっきりブログを書く回数が減っていて(書いたのは一週間前)、ちょっとヤバいかなぁなんて思っているのですが、そんなことはどうでもいいですね。

 

明日は四月三十日。平成最後の日でございますけれども、僕がここでひとつ、予言をしておきましょう。

 

その内容は、「四月三十日は「平成最後~」的なタイトルの記事がアホみたいに乱立して、五月一日は「令和になりましたが~」や「令和最初~」みたいなタイトルの記事がバカみたいに乱立する」というものです。

 

きっとこの予言はノストラダムスよりは当たる確率が高いんじゃないかと思います。きっと悪魔は来ないんじゃあないかな。山下達郎みたいに。

 

そもそもの話、僕はバリバリの「平成生まれ平成育ち。平成のやつなら大体友達!Hey!Sey!」世代なので、昭和から平成に変わった時の社会状況というものを、聞いたことしかありません。どうやら自粛モードだったんですってね。いろんなことが。たとえば中日はビールかけを自粛したとか。

 

しかしながら、今回は生前退位なので、そういった自粛ムードはなく、むしろ喜ばしいことのような雰囲気が世の中に流れています。まあ、僕的にはお祝いムードなのは別にいいんですけど、一つ二つ、疑問に思うことがあるんですよ。それは、「平成最後だからなんなの?」「令和最初だからなんなの?」ということです。まあ、「令和最初だから何なの?」は、まじで「何なの?」と思う人も多いかもしれませんが、「平成最後だから何なの?」という疑問には賛同しかねるというような人も中に入ると思います。

 

でも、「平成は最後だけでど、自分の人生は、昨日と変わりなく続いていく」んですよ(寝ている間に死ななければ)。節目という意味では確かに元号が変わるのは大きな節目ではありますけれど、それはなんというか、あくまで「書類上」のもののような気がするんですよね。僕は。自分の実生活が、平成から令和になったとて、劇的に変化するわけではないですし。

 

けれども、「平成最後」みたいな文言は、いまだに使われているわけじゃないですか。それはいったいどうしてなんだろうなと考えてみた時に、「元号が変わるから、自分も変われるんじゃないか」という気持ちを持った人間が結構いるんじゃないかなと考えました。別に根拠はありませんが、なんというか、世界が変わるんじゃないかというきもちと、一種の高揚感みたいなものはあると思います。そりゃそうですよね。時代が目に見える形で変わるんだもん。

 

今の状況と似たような社会の空気感は、一年のうちに一回存在しています。それは年末年始です。年末年始は、もちろん楽しい行事が目白押しで気分が高揚することもあるでしょうが、新しい年を迎えることによって、「自分も変われるんじゃないか」という気持ちを持つ人間は多いと思います。「新年からは、気持ちを切り替えて頑張ろう!」みたいな人は多いはずです。

 

つまり何が云いたいかというと、「元号が変わるのは、新年を迎えるのと似てるね」ってことと、「四月三十日に「平成最後~」みたいなタイトルの記事を、五月一日に「」令和最初の」的なタイトルの記事を書くやつは、つまんねー、しょーもねーヤツ」ってことです。

 

はい。