頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

ブログで過去の遺物であるモノの価値を認識した話

過去のモノは「過去のモノである」というそれ一点のみにおいて、すでに、未来のモノつまり無をはるかに凌駕している。ということに気が付ける、もしくは気が付いている人間の存在は、この、やや狭く感じるが、意外にも広い面積を持つ、極東あるいは極西の島国・日本において、そういないのではないだろうか。と考えるようになった。

 

もちろんこれには何処にも根拠はない。もしかしたら、この世の中でたった一人、僕という存在だけが、過去のモノに価値を見出していなかったのかもしれない。他の生きとし生ける人間全員が、過去のモノは過去のモノであるという価値を有しているということを、知っていたのかもしれない。もしそうであったのなら、 今にも顔から火が出そうな状態になるであろうし、それと同時に、この地球上での過去のモノに対する価値の認識のシンクロ率は、99.9999%から100.0000%になっただろう。

 

何故、そんなことを考えるようになったのかというと、その原因は、このブログにある。私はある日(正確には2019年4月29日)から、今日(正確には2019年5月30日)までのちょうど31日間、つまり一か月間、このブログを更新することを止めていた。それまではこのブログを開設してから一日も休むことなく更新を続けていた。

 

なぜ毎日ブログを更新していたのかは、今となっては全くと言って良いほど思い出すことはできない。たぶん、毎日更新していた方が良いのだという、漠然とした、何らかしらの脅迫概念じみたものが当時の私の心の中にはあったのだろう。

 

それがある日(正確には2019年4月29日)にはなくなっていたのだと思われる。どうやって無くなったのかはわからないが、改元されるということで浮かれていたんだろう。きっと。それから私は、ブログを今日(正確には2019年5月30日)まで更新してこなかった。

 

そして今日(正確には2019年5月30日)。私は久しぶりにこのブログの状況を確認するために、ログインをした。そして、自分のブログのアクセス解析のページを開いた。私ははじめ、きっとこのブログが月間でどれほど見られたのかを表す数字は、人類の偉大なる発明品である "0" であると予想していた。しかしながら、私の予想に反して、待っていたのは "82" という数字であった。

 

私はその瞬間悟った。過去の遺物が持つ価値について。

 

う状況が発生している。地方では、それらを解決するために、リノベーションというモノを行うところが発生し始めた。見事リノベーションを成功させた地域の例としては、滋賀県長浜市第三セクター『黒壁』などが挙げられる。

 

このように過去のモノが持つ価値を利用することによって、問題を解決することが出来る場合がある。今何かを行っている人間で、それでいてそれについて悩みを抱えている人間は、一度勇気をもってそれを放置し、過去のモノにしてみることで、何か新しい価値を発見できるかもしれない。逆に、過去に何かをしていたが今はしていない人間で、何かに悩んでいる人間は、過去にしていたものをもう一度観察したり、もう一度行ってみると、新たな価値を見出せるかもしれない。特にこれといったことがない人間は、私のように、ブログで確認してみるのが良いかもしれない。

 

とにもかくにも、過去のモノは、計り知れない大きな価値を持つことが往々にしてあるということである。