頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

人間は気体なのかもしれない

なんだか正確にはつかめていないのだけれども、そこにあることははっきりしている。

「雲」というモノは、小さい頃は不思議に夢をかなえてくれる神様が乗っかっていると思っていた。乗っかっていると思っていたということは、僕は小さい頃、雲は固体だと思っていたということだ。夏祭りの縁日に並んでいる、テレ朝系列のキャラクターがプリントされている袋に入ったスッカスカの綿菓子みたいに、雲も触れるんだとずっと思っていた。

飛行機に乗るときは、翼の部分に座ることが多かったので、幼いながら「翼の下にあるプロペラみたいなのに詰まったりしないのかしらん」と心配していた。結局雲がつまるところは見たかとがない。

雲は水蒸気なので固体ではないということを知ったのは、中学生の理科の授業の時だった。理科室ではなく、教室だったと思う。たぶん、固体・気体・液体の区分を習ったときに知ったのだろう。なぜかうちの中学は理科の先生が二人いて、つまり、一学年に担当する先生が二人いて、それぞれの分野で教える先生が代わっていた。気体とかの話は、たぶん男の先生だったと思う。生物分野とかを担当していたのであまり理科室を使わず、木の古ぼけた匂いと薄い薬品の匂いが入り混じった空気が何となく好きだった僕には、つまらなかった思い出がある。きっと神様を殺したのもこの先生なのだろう。

最近は久しく飛行機なんて乗っていないけれど、父親が出張で帰ってくるときには必ず、『翼の王国』を持って帰ってきてくれる。母親が『翼の王国』が好きだからだ。母親が読み終わると、僕も必ず読む。一家そろって飛行機の中でも割と熟読するタイプの人間である。

子は親に似るなんて言葉がこの世の中にはあったりなかったりするが、僕の経験では三割くらいはその通りかなと思う。しかしながら、実際は子供の性格に寄与しているものは家庭以外の環境らしい。例えば学校とか。だとすると、僕が『翼の王国』が好きだというこの事実は、いったいどこから生まれてきたのだろうか。

何となくこんなことを考えていると、人間って面白いなぁと思う。そして、「人間ってオモシロ!」と、死神みたいな声で、一人叫んでケタケタ笑うのである。とらえどころのないことが面白さにつながっていて、それが「人間らしさ」なのだろう。とらえどころのないさまを表す日本語に「雲をつかむような話」みたいなのがある。ここから考えると、実は人間も雲もそんなに変わらないんじゃないかと思えてくる。そうすると、人間って、本当は気体みたいにふわふわふわふわしている存在なのかもしれない。