頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

七月に入ったのでブログの更新頻度を上げようと思う

七月に入った。小学三年生くらいの子が書いた絵が載っているカレンダーなら青々と茂っているよくわからない植物と太陽が赤色かオレンジ色かで描かれているし、学校ではプール開きも始まっているのだろうこの季節。

 

僕は久しぶりに、はてなブログに来た。以前書いたブログからもう一カ月もたっているというではないか。驚きである。時間がたつということがこんなに早いのだということを認識できる年齢になってしまったことに若干のやるせなさみたいなものを感じる。だから、冒頭でプール開きなどという大人は到底使わない言葉ランキング第七位くらいにランクインしている単語を使ってみたりした。そんなことをしても小学生だったあのころにはもう戻れないと知っているのに。

 

まあ、そんなことはどうでもよくて(どうでもよいかどうか改めて言われると、小学生だった頃に戻りたいけど戻れないということはどうでもよいことではないのだが)、今日僕がこうして筆を執ったのは、あるいはキーボードをたたいているのは、「七月に入ったから、そろそろブログの更新頻度を上げようかな~前みたいに毎日とは云わないまでも週に三日間くらいはブログ更新しようかな~なんて思っちゃったりしているよ~ん」ということを伝えるためである。

 

誰に伝えているのかというと、これを読んでくれているアナタに伝えているのももちろんなのだが、一番強く伝えているのは、まぎれもない自分という存在なのだ。人間というものは、無意識のうちに決断というモノを下してしまっているらしいという話をどこかで読んだことがある。つまり、アナタが「今日の晩御飯は餃子にしよ」と決断したその0.5秒前に脳はすでに「今日の晩御飯は餃子にしよ」ということを決断しているということである。もっと簡単に云うと、アナタが認識している自我が今日の晩御飯を餃子とするより前に、アナタの自我を作っている脳が今日の晩御飯を餃子にしているのである。

 

このことから、人間の持つ自我というモノや、自由意志というモノの存在が揺らいでしまったのである。的なことがなんかの本に書いてあった気がする。しかしながら、どこまでも一般人である私たちの自我が、その自我を形成している脳という存在を自発的に認識することはたぶんない。なので、僕は自我というモノはその点において存在しうるのではないかと考えている。この話をしているうちに自分が何を云いたかったのか忘れてしまったが、つまるところ、人間というモノは自我という危うい存在をどこかに有していながら、それでいて物事をすぐに忘れてしまう生き物であるから、自分が七月に入ったから今後ブログの更新頻度を上げようと思っていたということを忘れないためにこのブログを書くことによって、ブログを更新するのをうっかり忘れてしまうことを防ごうとしているということが、僕の云いたかったことなのではないだろうか。たぶん。