頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

人類が同じことを理解し合うことは可能なのだろうか

僕たち人間(というか人類)はこの世の中に存在しているありとあらゆるモノや事象の内、99.9999%を理解できない。と僕は思っている。個人的に思っているだけなので、本当に人類が世の中のモノや事象の0.0001%が理解できているかどうか、科学的な根拠は何一つない。しかも、世の中には同じ言語を使用している(と思われる)人同士の会話でも、理解し合えないことが多々起こっている(Twitterとか)。理解することと理解し合うことは厳密には違う行為であるかもしれないが、それを言い出すとすんごいめんどくさいことになるので言わないことにする(つまり理解する=理解し合う、とここでは扱う)。

 

もし、すべての人類が世の中のモノや事象の0.0001%を理解しており、それが同じものや事象であるなら、上で書いたようなことは起きないはずである。ということは、人類が理解している0.0001%のモノや事象は同じではないということになる。地球にはどうやら約七十億人程度の人類が存在しているらしい。その一人一人は0.0001%しか、世界の物事を理解していないとすると、全人類が同じものを理解する確率、つまり理解し合う確率はめちゃめちゃ低いんじゃないかと予想できる(計算は面倒くさいのでやらない。たぶんめっちゃ低いんだろう)。

 

このことから、全人類が同じものを理解し合うためには二つの方法が存在すると言える。一つ目は人類の総数を減らすというものである。極端な話、全世界に二人しか人類が存在していなければ、七十億人存在している場合と比べて、理解し合う確率は高くなるだろう。たぶん。なので、僕の個人的感情では人類が人類の総数を決めるとかアホくさいと思っているのでこの方法はいただけないが、全人類が同じものを理解し合うための方法としては存在しているということを認めざるを得ない。

 

二つ目は人類の理解できる幅を0.0001%から0.001%位に、0.001%から0.01%位に……というように上げるというものである。例えば0.0001%から0.001%に上げるということは、人間の理解できる物事を10倍に増やすということである。数字で見ると大したことないように思えるが、単純に考えても、今理解している(と自分で思っている物事)の量を10倍に増やさないといけないのである。うーん、しんどい。各国では前提の理解量を国民一人一人に持ってもらいたいがために教育なんかを普及させたりしているのだろうが、それのさらに10倍必要だとなると、教育する側もされる側もパンクしちゃうだろう。ただでさえパンクしそうなのに。

 

とすると、全人類が理解し合うことは夢のまた夢になってしまう。なにかいい方法はないのだろうか?というか、そもそも全人類が同じことを理解し合えたとして、その項目が「土ってまずいよね」、みたいなことだったら、どうするんだろう。なんだか悲しくなってきた。