頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

緊急事態宣言の強制力の有無から考えたこと~我々市民は成熟した社会に向けて「賢さ」を持つべきである~

我々市民は成熟した社会に向けて「賢さ」を持つべきである

 

これだけ見るとなんだかたいそうな話が始まるのではと思われる可能性が高いので一つここで断りを入れておく。今回は難しい話はしない。題名がこうなったのは僕の日本語力が平均以下だからに過ぎない。申し訳ない。

 

今(2020/04/14)現在、日本含む世界は大変なことになっている、らしい(日本についてはともかく世界については実際に見ていないので何とも)。

 

日本では緊急事態宣言が七都府県を対象に出された。

 

コイツには強制力がありません。なぜなら宣言だから。https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=424AC0000000031

(条項だと違うらしい)

 

僕は、世界や日本が567で大変な時に出た緊急事態宣言に強制力がないということに、とても感動しています。なぜなら、今の状態を見るに日本は国家の持つ力が強くなく、市民の持つ自由が限りなく尊重されていると言えるからです。

 

これは実はすごいことなのではないかと思うわけですよ僕なんかは。だって外国(この場合は民主主義国家を想定)では強制力を伴ってるって言うじゃないですか。すごいですよね。国家が市民の行動を制限できるんですもの。リバタリアンなら失神しちゃうね。

 

しかしながら、インターネッツ上では「緊急事態宣言は強制力がないからダメ。改憲しろ!」という声が多いように見えなくもない。しかしながら、強制力を持たない宣言はダメな理由を述べている人間(たぶん)は僕が見た限りではいませんでした。そっちの方が僕的にはダメだと思います。根拠のない主張はバカ以外に見向きもされません。

 

ここで僕は一つ疑問に思ったのです。どうして「強制力のない宣言はダメ」と考える人間が多いのでしょう?それは、多くの人間が、「自分は民主主義社会の一市民であり、自分が主権者だ」という自覚を持っていないことと、頭が悪い(この場合は、「論理的に物事を考える力」「相手の主張を正確に理解する力」「他人との合意形成を論理的に、話し合いで行うことができる力」がない状態のことを指す)ことが原因だろうと考えられます。

 

そもそも民主主義社会では、社会で暮らすすべての人間が賢いという前提のもとに成り立っています。すごいですね。

しかし、現実は、市民全員が賢いというわけではありません。残念。だから、教育を受けさせる義務があったりするわけですね。賢くなるために。だから、大学がいっぱいあって、誰でも大学に入って学問をすることができるようになっているのですね。賢くなるために。

 

ここまで、民主主義社会では市民が賢くないといけないということを話しました。では、この「賢さ」とはいったい何なのでしょうか?数学ができること?法律を知っていること?はたまた、何か専門的な知識を有していること?

 

いいえ、違います。民主主義社会における賢さとは、簡単に言ってしまえば「論理的に物事を考える力」「相手の主張を正確に理解する力」「他人との合意形成を論理的に、話し合いで行うことができる力」です。

 

並べてしまえば一見簡単そうに見える民主主義社会の「賢さ」ですが、これを習得するのには大変な時間と労力がかかります。また、これらの力は今の日本の義務教育制度や高校では習得することはほぼできないといってよいでしょう。なぜなら、現在の義務教育や高校は、民主主義社会に必要な市民の育成の場ではなく、日本社会の持つ社会的構造上で生きるために必要な知識を叩き込む場所だからです。残念。だから、「強制力のない宣言はダメ」と考える人間が存在するのも仕方がないと思います。うん。

 

では、「強制力のない宣言はダメ」と考える人間だけが、民主主義社会における賢さを有していないのでしょうか?いいえ、そんなことはありません。

例えば、「強制力のない宣言はダメ」と考える人間の意見に多かったものとしては、「強制力がないと意味がない。なぜなら人がこんなにも自粛していないからだ」というものがありました。この発言が論理的かどうかは一旦置いておいて、この状況でもまだ自粛していない人がいるのは確かです。この人たちもまた民主主義社会における賢さを有していないと言えるでしょう(尚、ここでは個人の社会的地位を考慮しない)。

しかしながら、これでは全員が賢さを有していないことにになり、今成り立っている民主主義社会はいったい何なのかということになります。そして僕はこう考えました。

 

暴論、我々市民は、僕も含めてほとんどの人間が今成り立っている民主主義社会を成り立たせる程度の民主主義社会における「賢さ」を持ってはいるが、成熟した民主主義社会を成り立たせる程度の賢さは持っていない。ということです。

 

じゃあ、我々がより良い民主主義社会を実現していくためには、さらなる賢さを習得しなければなりません。

今自粛中の人たちも、そうでない人たちも、ぜひ、民主主義社会における賢さを習得してください。僕も頑張ります。