頭の中身が知りたくて~男子大学生が考えていること~

男子大学生である私が普段どんなことを考えているのかを可視化して面白おかしくブログにしています。

なあ、ボイスって本当に必要か?~第九回シンデレラガールズ総選挙について思うこと~

僕は斉藤洋子Pである。

f:id:atamanonaka338:20200414143424j:plain

 

斉藤洋子は最強洋子だと思っている。声がなくても、ユーザーにあまり認知されていなくてもだ。

 

最近は仙崎恵磨も良いなと思っている。声がなくても、ユーザーにあまり認知されていなくてもだ。f:id:atamanonaka338:20200414143609j:plain

(マスクをみんなに配布してくれるなんてやさしいね)

 

 

なあ、そのアイドルにとって、ボイスって本当に必要か?ユーザーの認知は必要か?それがないとダメなのか?それがないとそのアイドルをプロデュースできないのか?それがないとそのアイドルは存在できないのか?

 

僕はアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツのユーザーに問いたい。

 

アイドルにとって、ボイスって本当に必要か?ユーザーの認知は必要か?

 

極論なのだが、ぶっちゃけ、アイドルに対して僕はボイスはいらないし僕以外のユーザーや、なんだったら僕の認知も必要ないと思っている。理由は二つある。

 

一つ目は主にボイスについてで、「声なんて無くてもアイドルの声は聞こえるから」というものである。これは、モバPにはわかりやすいかもしれない。

依田芳乃というアイドルがいる。最近(でもないか?)声が追加されたアイドルの一人だ。しかし、よしのんにボイスが実装される前からよしのんPには声が聞こえていた。ボイス未実装時のよしのんPに聞こえていたのは間違いなく幻聴である。よしのんPがとうとうおかしくなったと一時期話題になっていたが、僕はこんな発言をしてくれるPがいることにひどく感動していた。

アイドルの声が現実世界にはないにも関わらず声が聞こえるということ。それは、古のキモオタたちが「〇〇は俺のヨメ」といってブヒっていたのと同じように、もしくはそれ以上に高度な行為である。そしてそれは、自らの想像力(もしくは妄想力)で自分が欲しい・足りないと思っていたものを補う行為である。

僕はそれを二次元コンテンツを楽しむことの一つの方法だと思っているし、むしろそれが本来の楽しみ方なのではないかと思っている。そもそもオタクという生物は自らの頭の中で考えたものを自らの頭の中で楽しむという究極の一人遊びに長けた動物だったはずだし、その行為は知的生命体である人類における正当な能力の使い方だと思う。

僕は割かし自由主義的かつ個人主義的な考えを持っているので、オタクの一人遊びが最高だったし、この一人で完結する行為は究極の個人主義的なモノだと思っている。今も脳内で完結する一人遊びはやってる。

なので、僕は現実世界にない斉藤洋子の声も、仙崎恵磨の声も、知ってるし聞こえる。ので、ボイスはいらん。個人的にね。

 

 

二つ目の理由は主にユーザーの認知についてで一つ目の理由とも被るものがある。というか、一つ目の理由は二つ目の理由の上に成り立っている。

「そのもの自体の存在と、誰かからの視点でのそのものの存在と、私の視点でのそのものの存在は共存できるし、存在しているものを我々はどう受け止めるべきか、まだ確定していないから」というのが理由である。

どういうことかというと、例えば斉藤洋子がいる。斉藤洋子は二次元的なキャラクタで、バンナムアイマス企画部(知らんけど)みたいなところで生み出されたものである。斉藤洋子という存在は、モバマスで初めて世界に認知されうる状態になった。仮に、この状態のまま誰も斉藤洋子について認識しなかったとする。そして、斉藤洋子を作り出した人々も、頭の中から斉藤洋子のことを消してしまったとする。そうなった場合、斉藤洋子という存在が消えてしまうかと言えばそうではない。斉藤洋子という存在はある。しかし、現実として僕は斉藤洋子を認識しているし、作り手側は斉藤洋子を忘れていない。ここで、斉藤洋子という存在と、作り手側の視点の斉藤洋子という存在と、僕の視点から見た斉藤洋子という存在が確立する。次に、別の斉藤洋子Pが斉藤洋子の存在を認識する。すると、今度はそのPの視点からの斉藤洋子が存在するのである。これは無限に続き、斉藤洋子PではないPの視点からの斉藤洋子の存在も出現するし、P出ない人間の視点からの斉藤洋子という存在も出現する。

つまり、斉藤洋子はこの世界において存在するのである。ボイスがなくても、認知されていなくても、斉藤洋子はこの世界に存在するのである。認知するものがいない世界においても、私の世界においても、アナタの世界においても、斉藤洋子は存在する。

そして、実像がないが、事実存在が認められているモノに、私たちはどのようにふるまえばいいのだろうか。明確な答えは出ない。ぶっちゃけ、好きにしていいと思う。

 

 

少なくともいえるのは、アナタの担当アイドルは、アナタがいなくても存在しますし、僕がいなくても存在しますし、認知されなくても存在します。そしてそれと同時に、アナタの担当はアナタの世界にちゃんと存在しているのです。

 

最近、アナタの世界のアナタの担当の存在に、気をかけていますか?他の視点からの存在ばかりを気にしてはいませんか?あなたの世界のアイドルを担当するのはアナタしかいないのです。ちゃんと、担当してあげてください。

 

僕は総選挙やボイス総選挙は、お祭りとして、良いものだと思います。しかしながら、総選挙で上位にならなくても、ボイスが実装されなくても、アナタの担当アイドルは存在しているということを、忘れてほしくないと心から思います。

そのうえで、ボイスがあーだこーだ、順位があーだこーだ言ったらいいと思います。

本当に。